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ドイツ研修旅行報告2024年2月(3)

(多田啓乃)外国語研修活動報告から転載


1  Jungendberatung

 20歳半ばまでの若者たちが抱える様々な問題を相談する場所として50年前から存在している。ドイツの相談所は国からの税金を利用し、州ごとの特徴を生かして、それぞれの地域の若者に寄り添った活動をしている。これらの相談は対面やオンライン、ハイブリット型など、それぞれが望む形での相談を行っている。また、相談内容は完全に守られるため、信頼関係を築いたうえで、安心して相談をする環境が整っている。

さらに、芸術やアートによる治療も効果を示しており、自分の状況を絵で表すことで相談者の抱える悩みの根幹に近づくことができたという例を挙げていた。そして、ストリートワーカーが違法な薬などを使う若者たちが集まる場所に実際に足を運び、悩みがないかなど聞いて回る活動も行っているという。

 私が最も印象に残っているのは、ある女性が幼少期に母親にかけられた「少しぽっちゃりしているね」という言葉が原因の1つとなり、拒食症になった例である。それぞれが抱える問題には、それぞれの経験や環境が関係しているということを改めて、実感させられた例であった。


 

2 Capital Wombats

 2016年に様々な子どもが集まり、バスケットボールを行うインクルーシブチームとして設立された“Capital Wombats”。デュッセルドルフにはインクルーシブスポーツのチームは存在せず、知的障がいを持つ人たちが参加できるチームもなかった。このようなチームが設立したことで、知的障がい者がスポーツをする場が設けられたことだけでなく、障がい者と関わるきっかけとなり、障がい者に対する偏見が寛容になるという効果が得られている。例えば、障がい者と健常者がペアになって練習を行うため、社会的な振る舞いや交流が行われ、健常者側も教えようと努力するし、障がい者も伝えようと努力し、障がい者自身の社会的能力の向上がみられる。また、知的障がい者が定期的に行っていた医師による治療には限界があったが、このチームでバスケットボールをすることで、肉体的な機能の改善にも効果があることが分かった。チームへの参加費が気になっていたが、年間240ユーロを支払い、会員になって活動に参加していることを知り、驚くとともに納得した。健常者が習い事をするときと同じように、お金を払い、サインして、会員になることを本人たちも求めているという。

 私はFLPでパラスポーツについて学んでいるため、このチームに取材できたことは大きな成果となった。来年度の授業でこのチームについて共有し、日本国内だけでなく、海外の事例についても学びたいと考えている。




3 サッカー観戦「Fortuna Düsseldorf vs SV Elversberg」

 サッカーのトップリーグであるブンデスリーガの第2部「Fortuna Düsseldorf」と「SV Elversberg」の対決を観戦した。ドイツにとってサッカー、Fussballは国技であり、会場の盛り上がりは想像を超えていた。第2部ということで観客があまりいないこぢんまりとした試合を想像していたのだが、会場に向かう街なかや電車内ではすでに盛り上がりを見せていて、多くの人がユニホームやマフラータオルなどのグッズに身を包み、ビールを片手に大きな声で歌を歌っていた。日本代表の試合に何度か訪れたことはあるが、電車内や会場外の雰囲気は比べものにならない。また、会場に入るにはペットボトルやビン、さらには香水などの液体を持ち込むことができず、手荷物検査や身体検査が行われていた。会場に入るまでの厳重なチェック、それをスムーズに行うための順路の作り方に驚いた。これらの厳重さには、サッカー大国ならではの国を挙げた盛り上がりが関係していると考えられる。

 ホームチームである「Fortuna Düsseldorf」には、日本代表である田中碧選手が所属しているため、周りのサポーターが「タナカ」と言っているのを聞き、日本人として誇りに思った。試合の結果はeins einsで同点であったが、レベルの高いサッカーだけでなく、サポーターの盛り上がり方や歌、リアクションやブーイングなど、ひとつひとつことがとても新鮮で楽しむことができた。また、一緒に観戦していた1年生の男の子がサッカーを観ながら、専門的な内容のメモを取っていて、とても素敵な一面を知ることができた。




4 Wewelsburg(強制収容所)

 ヒットラーの親衛隊の役割を持つ「SS」が1933年にwewelsburgを購入し、利用していた。SSは人々の支援を得るために礼儀正しく、優しい面を持つ一方、ユダヤ人や障がい者、アフリカ出身者などのSSにとって邪魔な存在については排除、追放していた。つまり、SSには全く異なる2つの顔を持っていた。戦争が進むにつれて強制労働者を収容し、150人のSSが労働者の管理をしていた。労働者たちは夏は暑く、冬は寒い環境の中で、過酷な労働を強いられている上に、ろくな食事も与えられず、3人に1人が死亡する悲惨な状況であったという。自由とは何か、人権とは何かについて考え続けなければならないと改めて強く思った。




5 Düsseldorf Carnival am Rosenmontag

 2024年2月12日(月)のカーニバルのパレードに仮装を少しして、参加した。東京でいう表参道や銀座のような大通りに仮装やペイントをした多くの人が集まり、「Helau!」と大きな声で叫び、大人も子どもも関係なくお菓子などをもらう光景がとても新鮮だった。また、カーニバルの山車には、かわいらしいものから、日本ではコンプライアンス的に見ることができないような政治風刺や皮肉を含んだものもあり、面白かった。今の日本はコンプライアンスに対して変に厳しいように感じることが多いため、とても新鮮で、興味深かった。

 屋台や小さなメリーゴーランドなどもあり、そこで食べたcurrywurst&pommesが研修期間で何度か食べた中で一番おいしいと感じた。貴重な異文化体験ができた。


 

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